豊前街道の百年後
11月某日、御仕事で慌ただしい中、夕暮れの豊前街道の某所で「丘の上工務店」の吉田悦士さんに、これからの山鹿における街並み再生の話を聞いてみた。
編集部「こんにちは、吉田さん。今日は御忙しいところスミマセン」
吉田さん『いえいえ、大歓迎ですよ』吉田さんは得意の笑顔で返してくれる。
吉田さんはここ数年の間、豊前街道沿いの店舗補修を通して、移住希望の御客さんからの問い合わせも多くなったと言われた。
「唐突にですけど、今の豊前街道についてどう思われますか」
豊前街道の説明しておくと豊前街道は江戸時代に参勤交代のルートで、福岡方面から熊本に入る一番初めの要所でした。
菊池川を使った交易も盛んだったことから古くから山鹿は栄えていました。
有名人も多く来ていました。豊臣秀吉、宮本武蔵、篤姫、などなど観光も含めた国境の要所として重要視されていました。
『私が、ここ数年豊前街道近辺で御仕事させてもらって、5軒ほど携わらせて頂きました』
「5軒はスゴイですね」
『その中で、いろんな山鹿のことを含めて、近くのことなのに知らない人も多いし、よく言われますけどポテンシャルはスゴイのに勿体ないなと感じています』
「と、いうことは情報発信が不足していると?」
『うーん、そうではないですね。今、若い方はSNSで発信は出来るし、情報発信ではないですね』
「情報が行って欲しい人たちに行ってないという感じですか」
『そうそう、そういうことはあります。山鹿の人でも豊前街道に○○のお店があることを知らない人は多いですから』
「確かにそれは勿体ないですね。情報発信の方向ですね。そしてソフトとハードを使い分ける意識も必要だと思います。
お店を作って営業していくことと、山鹿市自体の大きい動きを持つこと。1つだけではなく、あらゆる可能性を含めた取組が必要ですよね」
『ここは外国人向けの民泊にしたいと思って作りました。ちょっと今、コロナで停滞してますけど。和の雰囲気というのを残して、私も豊前街道の中に居て、活動したいなと思っています』
「なるほど。入口の階段が狭い分(失礼!)2階は期待が膨らむ空間ですね。茶室のにじり口効果のような」
『そこまでは…いえ、そうです。考えていました(笑)』
「それで、どうやったら豊前街道がもっと活気があるようになると思われますか」
『そうですね。今、行政が空き家活性化の補助金を出していますが、私はあれは間違いではないと思っています。私は豊前街道がお店がひしめくようになれば良いと思っていますので』
「それは、ある意味時間のかかることですね」
『そうですね、私はよく言うんですけど、10段階の1、ですね。ここを大事にしていったら良いと思います』
「つまり、いろんなことをするより1つの目的を決めて…」
『ただですね、していくにしても空き家の問題というのは、とても大変なんですよね。相続問題になるんですけど、持ち主が複数に分かれていたり、仮に亡くなられている場合など、それは大変で1つの自治体で出来ることは限られていると思います。それは国レベルで舵を取らないと無理ですね』
「ことなこれ主義で、だったら税金の安い空き家のままにしておこうという風になりますよね」
『そうなんですよ、それはここ数年仕事をしていて分かったことですね』
「ちょっと難題にぶつかってしまったので、方向を変えますね。ここに1つ画像を御持ちしたんですが…」
『お、古い写真ですね。これはまさか山鹿ですか?面白い❗』
「そうなんですよ、これ、国土地理院の航空写真ですね。戦後米軍が撮ったものではないでしょうか」
『うわースゴイお店が一杯ある、そうそうこんな感じの雰囲気にしたいんですよ』
「それで、この画像を見て思ったんですが、これには国道3号線も県道325号線もないのですよね。大きい道は豊前街道と1つ国道があるだけで。菊池川には木の橋が掛かっています。
冒頭でも言いましたが、山鹿がとても栄えている時代です。夜になると「惣門」という門を閉めて、人の往き来を出来なくして、囲いました。ある意味、今は車が便利過ぎて、どこでも行ける時代になった。昔、不便だった頃が栄えていたのは皮肉な話のように思えます」
『都市計画というのは、難しいですね』
「福岡などはとても上手い印象があるんですよね。人工島も作って、無いなら作るくらいの覚悟がある」
『でも、私は作るよりは生かすことが必要だと強く思います。八千代座やさくら湯(これは新設されましたが)これは、他の地域には無いのですから。それが豊前街道にあるというのは先人の方の想いですよ』
「もちろん、財源的に無理なことが多いのですけど、私が思っているのは、先ほど吉田さんが言われていた10段階の2ぐらいに、豊前街道の歩行者天国化というのを考えて欲しい。毎日じゃなくても数ヵ所でも良い、銀座が土日出来るんだから無理じゃない。車が便利過ぎて、ポイントポイントで動いて行くなら、それを制限すれば良いと思います。
実際、大宰府や倉敷はそうしています。わざと不便にして人が回遊するようにメリットを作り都市計画が動いている。城崎温泉も、来年度でそうするように動くみたいです」
『そうなんですね、でもそれは大きな駐車場が必要になりますね』
「はい、どちらにしても駐車場は要ります。修学旅行などの大型バスが入るような駐車場を豊前街道から少しだけ離れた所に作り、それを含めた都市計画を考えた方が良いと思います。幸い、山鹿は今まで観光に特化していなかったので、コロナの被害も少ないです。これからのことを考えるならば、小さい仕組みより大きい仕組みを考え、それを皆が同じ方向を向くくらいの取組と覚悟が必要だと思います」
『私は100年後、残るのは豊前街道だけになるんじゃないかな、と思っているんですよ。人口は驚くほど減っていきますし、人が減れば、昔のような街並みに戻っていくと思います』
「それはあるでしょうね。古い街並みというのは、これから作ろうと思っても出来ないですから」
『それも仕事をしていて感じたことです。そして私が必要だと思うのは、山鹿の人たちが「山鹿らしさ」というのを明確にしたら良いのではないかということです』
「アイデンティティですね。別々や目先のことのみを考えるのではなくて、都市計画も連動していくとさらに良いと思います」
『今後は情報の早さでモノコトは並列化され、日本は同じ価値観になっていくと思います、今後「山鹿らしさ」というのを大きくしていくこと、そして豊前街道を有効に使うことが私からの願いですね(笑)』
「今日はありがとうございました。吉田さん、コロナウイルスに気を付けてくださいね(笑)」
『はい、また宜しく御願いします』
※撮影はコロナウイルスに十分注意して行っています