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山鹿温泉小説〜第一幕〜

7月某日、小説家の古川春秋さんが熊本にやってきた。

古川さんとは友人を介してメールでのやり取りが続き、御互いの予定があった7月上旬に御時間を作って頂いた。

古川さんは、高校生まで山鹿で暮らされていた。それから進学の為上京され、そのまま東京の方で暮らされている。

だから「山鹿のことをよく知らないんです」と言われた時も、納得するのと同時に寂しい気持ちになったのを覚えている。

やはり、先ずは山鹿の観光が知れる「さくら湯」隣の地域振興公社に赴いた。

古川さんは一昔前の「さくら湯」は知っていたけど、現在の「さくら湯」は初めてだったらしい。

館内の、あらゆる情報誌を見られて「いろいろされているんですね」と呟かれていた。

そして様々なことを詳しく御伺いするために、局長の朝倉さん。

朝倉さんに楽しく山鹿温泉の現状・情報を教えて頂いた。

朝倉さんはアイデアマンな一面もあるため「温泉小説のネタ」や「情報発信」を教えて頂いたが、なかなかハードルが高く、苦笑いするのを我慢されていた御様子。

ただ、少しづつ山鹿の現状を分かる、というより山鹿を思い出されてきたような感じだった。

二日目、やはり小説家ということで「本」つながりで「ひまわり書房」にも来店。

小さいお店だけども「本」に熱心な店主・川口さんとしばし談笑。

山鹿の「本」事情も仕入れられ、少し難しい顔をされていた。

そして調べものがあるということで山鹿市の「ひだまり図書館」にも。

こちらでは御自身の書籍もあり、それが司書の方に伝わってしまったこともあって、少しだけ嬉しい悲鳴が聞こえていた。

古川さん自身は少し困惑されていて、でも気恥ずかしそうにされていたのが印象的だった。そうそう、そういう時の山鹿の女性はハッキリものを言われます。

古川さんが山鹿のことをいろいろ見られて、興味を惹かれたことの一つが日本国内最後の内戦である「西南戦争」だった。

古川さんも御存知だったみたいだが、深くは御存知なかったみたいで、少しショックを受けられていた。

山鹿の至る所で戦闘が行われ、今現存している寺などが作戦基地になり、それが140年あまり前の出来事。

同行している私のあまりの無知さに辟易されたかもしれないが、西南戦争時に山鹿で1万人集会が行われ、日本で初めての「民権政府」が誕生したことはとても意義があるように思われたよう。

「是非次回作の構想に!」と御願いしたものの、なかなか難しいみたい。

そして来民の渋団扇作りの見学に。

ちなみに店主の栗川氏は、古川さんの高校の大先輩でした。

お互いに初めて会ったような感じがしないくらい自然に話されていて、ここでも山鹿の現状を御聞きになっていた。

足早に古川さんの山鹿滞在記を書いてみたが、この他にもいろんな方との出会いがあり、古川春秋さんの山鹿人比率が五割くらいは戻ったかな、と信じたい。

しかしながら、まだまだ「山鹿温泉小説」を書くには心もとない。

これはまた次回も山鹿に来て頂き、もう少しディープな山鹿を感じてもらうことで、真の「山鹿人(やまがんびと)」になってもらう他ない。(佐枝)

第二幕に続く…。



 

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